立憲民主党代表・枝野幸男

立憲民主党


かつて立憲政友会と覇を争い、帝国議会に於て二大政党制の一方の雄として、昭和憲政史に偉大な名を残したリベラル保守政党「立憲民政党」を、まさに彷彿とさせる政党名である。
代表たる枝野さんには、

ぜひとも「平成の濱口雄幸」になって、見事「男子の本懐」を遂げていただきたい。

 

 

とある場末の結婚相談所

喪女

「…私、3○歳になるまで男性とお付き合いしたことが無いんです…

…その…いわゆる二次元ばかり追いかけてきたので…こんな私でも結婚できるんでしょうか…?(自信無さげ)」

相談員

「ご安心ください。このような方の例があります(爽やかな笑顔)

 

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喪女

「なんだか少し自信が出てきました(少し笑顔)…この方は、結婚された後は、その…二次元の趣味はどうされているんですか??」

相談員

「ご結婚後は、こういう感じで暮らされているみたいですよ(爽やかな笑顔)」

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喪女

「こういう結婚生活なんですね…楽しそう(感心)…あの私、結婚したら子供も生みたいんですが、この方はお子さんは…?」

相談員

「お子さんについては、こうなったそうですよ(爽やかな笑顔)」

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喪女

「すごく自信が出てきました。婚活に前向きになれそうです(笑顔)」

相談員

「それは、良かったです。

 

 

……ところで、当相談所へのご入会はいかがされますか?ご検討されますか?( ^ω^ )」

 

 

元陸軍法務官が紐解く二・二六事件軍法会議の真実。

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元陸軍法務官が解き明かす二・二六事件軍法会議の真相。
 
 原秀明 著

二・二六事件軍法会議

 文藝春秋(ハードカバー)

霧名亜夜斗の

~「この本で歴史を勉強しよう」~

 

 

   《二・二六事件概要》

 

昭和十一年、二月十六日未明―……

陸軍歩兵第一連隊、第三連隊、近衛歩兵第三連隊を中心とする将校が、大量の銃火器・実弾を持ち出して、下士官、兵約千五百名を指揮し、総理大臣官邸、内大臣私邸、大蔵大臣私邸など十数ヵ所を襲撃した。

斎藤実内大臣高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監は即死。
岡田啓介総理は、からくも身を隠して襲撃の逃れたが、身代わりとなった松尾伝蔵陸軍予備役大佐は即死。
鈴木貫太郎侍従長は重傷を負った。

首相官邸陸軍大臣官邸、警視庁などは決起部隊によって占拠され、帝都・東京の中心部は、麹町から虎ノ門桜田門にかけて、実弾を込めた機関銃・小銃で武装した兵士達によって封鎖されたのである。
日本を震撼させたクーデター事件の幕開けだった……

 

 

    《解 説》

 

いわゆる二・二六事件について書かれた書籍は、沢山ありますが、本書は、事件にまつわる軍法会議をテーマにした本です。

著者は、元陸軍の法務官(軍内における司法担当の文官、軍属)であり、戦後は弁護士として活躍した人です。

 

二・二六事件を扱った軍法会議の裁判記録は、戦後長らく所在が不明で、焼却疑惑もありました。
それが、戦後様々な遍歴を経て、東京地方検察庁に保管されていることを聞きつけた著者が、当局に申し入れ、平成五年の春に公開に至ったものです。

特に、長らく紛失していた「判決原本」が発見されたことは、特筆すべきことでしょう。

 

著者は当然、法律家なので、膨大な裁判記録に分け入り、法的論点を的確に指摘しています。
法曹であり、陸軍法務官としての豊富な実務経験に裏打ちされた軍法会議の描写と、その背景の分析は、臨場感に溢れています。

 

裁判記録を紐解くと、
物議を呼んだ「陸軍大臣告示」や、
「事件の首謀者」や目された真崎甚三郎陸軍大将の不審な行動、
さらに、鎮圧にあたるべき戒厳司令部の香椎浩平中将が、反乱軍と同調するかの動きを見せたなど、事件の真実が浮かび上がってきます。

また、事件を主導した青年将校は、もちろんですが、彼らよりも下の階級の人達(下士官や兵士)への法的処分ー判決についても触れられています。

軍人勅諭により、
「上官の命令は、天皇の命令」とされ、上官の命令に従うことは絶対とされてきた旧陸軍に於いて、青年将校達の「反乱」命令に、下士官や兵士は従いました。
このような命令は、当然違法であり、陸軍刑法に抵触する軍規違反です。
しかし、「上官の命令は、天皇の命令」が大原則ですから、下士官や兵士は素直に従いました。

「上官の命令に絶対服従」という大原則と、
「違法な命令に従うのか?」即ち「命令の内容に問題があれば、部下はそれを拒否してよいのか?」
という旧陸軍の指揮命令系統を根底から揺るがしかねない大問題に、軍は直面したのです。

戦後は馴染みのない、陸海軍刑法や、陸海軍刑事訴訟法、陸軍法務官や軍法会議という「軍内司法」についてもわかりやすく解説されています。

 

 

二・二六事件軍法会議や陸軍法務官などの「軍内司法」に関心を持つ方に、本書を強く推薦いたします。

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第三帝国総統アドルフ・ヒトラーは、パーキンソン病だった。

 

第三帝国総統アドルフ・ヒトラーパーキンソン病だった。

小長谷正明 著

ヒトラーの震え
  毛沢東の摺り足

  神経内科からみた20世紀』

中公新書

~霧名亜夜斗のこの本から歴史を学べ!!!~

 

 

   《内 容》

20世紀は戦争の世紀であり、一国の命運はしばしば独裁者の手に委ねられた。
だが、独裁者の多くが晩年「神経の病」に冒されて指導力を発揮できず、国民を絶望的状況へ導いたことはあまり知られていない。
彼らを襲った疾患とはいかなるものだったのか。
政治的指導者から作曲家、大リーガーまで、多彩な著名人を取り上げ、貴重な映像と信頼に足る文献をもとにその病状を診断する。
神経内科の専門医がエピソード豊かに綴る20世紀史話。

 

 

   《解 説》

「…それから三分の一世紀以上もたったある日、テレビで記録映像のドキュメンタリー番組を見ていた…(中略)…が、次の瞬間、筆者の目は画面は釘付けになった。

ヒトラーの左手が震えているのである。

神経内科医のプロ意識が湧き上がってきた。診察する目で観察した。その震えは、見慣れたパターンである。
パーキンソン病のそれであった…」
(本書6Pより)

 

 

本書は、神経内科である著者がナチス・ドイツアドルフ・ヒトラーソ連共産党ウラジーミル・レーニン、ヨーシフ・スターリン中国共産党毛沢東の政治的権力者などについて、彼らが密かに抱えていた病の秘話を解説した本です。

 

 

著者の分析によると、
ヒトラーパーキンソン病
レーニンは脳梗塞
スターリンパラノイア
毛沢東は筋萎縮性側策硬化症(ALS)だったそうです。

 

 

これらの病が、大国の政治的意思決定にどのような影響を与えたのかについても考察しています。

 

周知の通り、ヒトラー達は、圧倒的な権力を握った独裁者であります。
命令一つで、世界大戦を起こし、多くの人民を強制収容所に送りこみました。
数千万の国民の命を左右する、絶対的な権力を持っていました。

 

 

そのような権力を握った彼らですら、しかし、自ら肉体を蝕む病には勝てなかったです……

 

 

ヒトラー達独裁者の半生に興味のある方に本書を、強く推薦いたします。

 

 

 

   著者略歴

 

小長谷正明(こながや・まさあき)
1949年(昭和24年)、千葉県に生まれる。
名古屋大学医学部卒業、名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了、医学博士、専攻・神経内科学(本書出版時の経歴)。

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霧名亜夜斗の軍事学入門ー本土防空篇

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日本に『空軍』は無かった。

 

 

二十世紀の初頭に開発された飛行機は、兵器=戦闘機・爆撃機等として戦争のスタイルを大きく変えました。

第一次世界大戦以降、英国やドイツ、フランスなどでは、飛行機を主体とした軍隊「空軍」が創設されました(欧州の国が多い)。
陸軍・海軍に次ぐ「第三の軍隊」の誕生です。

 

日本においては、どうだったか??というと、

「空軍」という独自の軍隊は創設されませんでした。
陸軍・海軍の航空部隊が航空戦力として機能していました。

海軍航空部隊は、航空母艦から発進する艦載機(傑作戦闘機・零戦、九七式艦上攻撃機、九九式急降下爆撃機など)が、あの昭和十六年十二月の真珠湾奇襲作戦で名を馳せましたね。

陸軍航空部隊の方は当然、地上基地から発進します。

 

ところが、海軍にも一式陸上攻撃機マレー沖海戦で英帝国海軍大型戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈)や局地戦闘機雷電といった、地上基地から発進する部隊があったのです。


つまり、同じような

「地上基地から発進する航空戦力」

を陸軍・海軍で二分していたのです。

 

これはあまり効率的とは言えません。
陸軍と海軍では使用する機体も、部品規格も整備方法も違いがあり、共通点がありません(互換性が無く互いに助け合うことが出来ない)。

太平洋戦争(当時の言葉では大東亜戦争)当初は、この弊害はそれほど問題にはなりませんでした。
しかし、昭和十九年以降戦局が悪化し、米国重爆撃機B‐29による日本本土への爆撃が開始されると、この弊害が目立つようになりました。

例えば、帝都・東京にB‐29の大編隊が迫る……迎え撃つ日本側は、陸軍と海軍が「それぞれ」の迎撃戦闘機を出撃させる……指揮系統も部隊配置も、索敵(例・電探=レーダーを陸海軍で別個に開発していた)もほとんどが「二重体制」になっていたのです。

このような陸軍・海軍の「縄張り」を取り払い、航空戦力を統合した「本土防空軍」を創設していれば、本土への空襲による犠牲(特に民間人の)はもっともっと少なかったのでは、と考えてしまいます。

 

わかりやすい参考文献です。

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東條英機主任弁護人が語る知られざる東京裁判の内幕

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東條英機主任弁護人が語る知られざる東京裁判の内幕

著者である清瀬一郎は、戦前、弁護士を経て政界入りした在野法曹界の重鎮です。
連合国による、日本の戦争犯罪を裁いた、極東国際軍事裁判=いわゆる東京裁判では、東條英機の主任弁護人を務め、大変有名になりました。

本書は、著者が東京裁判について見聞した事実を戦後回想したものです。
当初は、昭和四十年代に読売新聞に連載された回想記を、一冊の本にまとめたものです。

著者は弁護士ですので、当然法律家として東京裁判国際法的な欠陥を突きました。

まず東京裁判の拠って立つべき国際法的な根拠が薄弱だと指摘します。

日本が戦争に踏み切った時点において、戦争そのものは国際法上「違法」ではなく、日本が敗戦した後に制定した「事後法」により、日本を裁こうとしていること。
これは「刑罰不遡及=後から制定された刑法を遡って適用してはいけない」の大原則に反する、と主張します。

また、ポツダム宣言東京裁判国際法的根拠としているが、ポツダム宣言でいう「無条件降伏」とは、「日本国軍隊の無条件降伏」を言っているのであって、「日本国政府の無条件降伏」を規定しているのではない……連合国側検察団は、不当な拡大解釈をしている、という主張です。

これらの清瀬の主張が正しいか否か、皆さんに本書を読んで、是非とも考えていただきたいと思います。

その他、法廷での各被告人達の態度や、東條英機清瀬達に託した遺書の内容、いわゆるA級以外のBC戦犯について清瀬が助言した話など、東京裁判について様々な知られざるエピソードが語られています。

東京裁判、また東條英機について知りたい方に、本書を強く推薦いたします。

 

 

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